幕末から明治20年までの約30年間、上伊那を放浪し1800余りの句を詠んだ俳人「井上井月(せいげつ)」は、上伊那の文化遺産。井上井月を後世に伝えるための活動が盛んです。
伊那路でも井月特集は00回発行されました。「井月特集」はこれからも取り上げて行きたいテーマです。
井月特集一覧(準備中)
井上井月は、文政5年(1822年)に生まれたと言われる。越後長岡藩士井上某の子、勝造または勝之進と称し、井月と号した。如何なる契機で俳人となったか明らかでないが、嘉永5年善光寺に来り、伊那へ来たのは安政5年頃で、紋附黒羽二重の小袖、白小倉の袴、菅の深阿弥笠といったいでたちであったと言う。
生来酒を好み、行住坐臥悉く奇行逸話でないものはなく、酒を飲めば只、千両々々と唱え、甞て怒ったこともなく、また婦人に戯れたこともなく伊那谷にあること30余年、明治20年3月10日上伊那郡美篶村末広太田窪の塩原折治梅関方で眠るように漂泊詩人井月は往生を遂げた。
時に66歳で、井月の墓は死後まもなく門人梅関によって建てられた。自然石に”降るとまで人には見せて花曇り”の一句が刻まれている。
(下島勲編、井月全集より)
下島勲(空谷)による「乞食井月」の素描 芥川龍之介の主治医であった、下島空谷が子供の頃に見た井月の記憶をもとに描いた井月。
2011年には井月が主人公の映画「ほかい人〜伊那の井月〜」が公開されました。
制作は、伊那路で広告協賛いただいている井上井月顕彰会と映画を監督した伊那市出身の北村皆雄が代表を務めるヴィジュアルフォークロア。
映画はほぼ全編が上伊那で撮影され、井月の俳句が59句詠まれています。
『伊那路』の特集号のテーマは、当会で特に重要と考える後世に伝えたい「上伊那の自然・歴史・考古・民俗・地理・芸術・芸能・人物・古文書」です。