口元円形微笑型とは、石仏の口を中央にして、鼻の付け根とおとがいを外周とする円形に彫りくぼめた形態を形成した上で、その中に口と円形凸型の下あごを表現することが共通の特徴となっている。この表現は、駒ケ根市を中心に、一部中川村田島所在の貞治仏や、松川町上片桐の瑞応寺の延命地蔵大菩薩に見られるもので、伊南の貞治仏50体のうち15体に見られる作風である。この作風で一番古いものは、寛政12(1800)年、もしくは享和元(1801)年作とされる駒ケ根市上赤須中嶋の福沢家墓地にある延命地蔵大菩薩であり、最後は光前寺阿弥陀如来像、別称「大阿闍梨寂応塔」文政8(1825)年、貞治61歳作をもって最終作となっている。上赤須福沢家墓地にある延命地蔵大菩薩は、光前寺寂応をモデルにし彫像したとされている。たしかに貞治作の地蔵尊の作風からは異例の風貌であり、どこかに実在した僧侶をモデルとしたことが推量される。丸顔で首が短いなど、一言で言及するならば「小太りの体型」と言えそうである。なお、光前寺歴代住職墓地にある「大阿闍梨寂応塔」は、寂応本人の墓碑または供養塔であり、本人との関連は言うまでもない。他に寂応との関連性を認めるのは、願主の大方が光前寺主要檀家である点である。以上のような理由から、口元円形微笑型表現は、寂応と貞治との信頼の上に生まれた表現方法と捉えている。私は寂応和尚が直接貞治に彫造依頼を示すものと考えている。貞治が顔面表現で口元微笑表現に苦心しているとき、寂応が円形口元表現を助言したのではなかろうか。以来、寂応の指名で石仏を彫るとき、好んでこの方法を駆使したと思われる。この表現が他地域で見られないのは、寂応との関連がないから当然のことと言えるであろう。寂応は仏教人でありながら、人の喜怒哀楽の感性をも観察・受領する人情豊かな人柄がしのばれる。貞治の研鑚期まで見られた円形微笑型表現での豊麗線ほうれいせんは、円熟期になると滑らかな曲線面となって微笑表現を表出するようになるのである。
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