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(6)祖父「貞七」との関係を示す貞治の石仏
貞七彫造石仏の所在範囲

 守屋貞治の石仏研究の中で、石仏菩薩細工記述の彫造数333体は、祖父貞七の生涯彫造数と同一と考えた私は、調査開始時より今日まで石仏探しを細々ではあるがずっと続けてきた。平成12年7月時点(『伊那谷の石工Ⅰ石匠守屋貞七』出版)で230体が確認されていたのであった。以後10年余りの間に、新資料10体が追加されたのである。それらは飯島町以南の広域より散見されている。中でも大鹿村西山公園の花見の際発見した、下青木薬師堂脇の石仏集合地にある「如意輪観音菩薩」と「梵字の文字碑」の2体は、貞七彫造を示す特徴がある石仏で、貞七がこの地まで足を運んだことを実証している。なお薬師堂は、秋葉山参拝の人々の旅の休憩場所となっていたことが推察される。石仏群の幾つかは、秋葉講関連の石仏が見られるのである。この石仏発見によって貞七の石仏彫造範囲の「東端」が決定づけられたのである。中川村および松川町上片桐近辺には、いまだ未調査地区があり、今後数十体の貞七作品が発見される可能性がある。なお、高森町吉田の光専寺墓地からも3体の貞七作品が見出されているため、高森町に注意の目を向けたいと考えている。以上の調査を基にし、西は中央アルプス山麓にて区切られ、北は伊那市の藤沢川を境界にして、東端は前述の秋葉街道沿い、南端は下伊那郡高森町をもって境とし、この内側領域が、守屋貞七の石仏造立の活動範囲と思われる。なおこの地域では、北から太田切川、中田切川、与田切川、片桐松川産出の良質な花崗岩が見られ、これらの石材により彫造されている。貞七は好んで乳白色の花崗岩を選定して石仏彫造に挑んでいるのである。
 中川村教育委員会は『中川村の石造文化財』を平成12年3月27日に発行した。この掲載写真図版の中に守屋貞七彫造らしき数点が注目された。中でも、中川村竹ノ上(供養場)の十王像は、守屋貞七の特徴を示すもので、早速現地に出向いたところ、十王像と石造物群のうち、左隣の如意輪観音像の2体が貞七作であることが確認されたのである。他には、三共地区(仲林行者様)の馬頭観音像(元文3年記銘)が貞七彫造の特徴を示している。下平地区からは、ラン塔場の石仏群の中より宝暦2年銘の延命地蔵尊(十二人為菩薩建之者也)と、寺澤家墓地内より舟形光背に彫った小形の地蔵尊を見出している。
 片桐氏の居城であった船山城の台地下に東流する南沢川沿いの小径より、自然石上に載った「聖観世音菩薩」像を見出した。最初は馬頭観音と思われていたが、側面刻字の「寒念佛供養講中」と記銘が確認されたため、聖観音と訂正した石仏である。七久保〜上片桐の上街道沿いでよく見かける「チューリップ形台座」に載った観音像である。貞七の中川村への足掛かりは、元文2・3年ごろ彫造した「石灯籠」の造立が始まりではなかったか。下平区八幡神社の1基(元文2年)と、中通り栢森神社(元文3年)の一対石灯籠の彫技により、貞七作であると推察される。


(5)伊南のみに残る石仏表現 ②「蓮華座花弁巻き返し
(6)祖父「貞七」との関係を示す貞治の石仏 ①中川村に見る自然石上に載る石仏
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