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貞七の石仏*如意輪観音 駒ケ根市北割大法寺

貞七*如意輪観音
丸彫・190/125・ 天明元年
駒ケ根市北割 大法寺

名工伝 守屋貞治 守屋家石工三代百年の足跡*田中清文より
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(1)貞治以後に活躍した渋谷藤兵衛

 昭和41年の『伊那路』11月号誌上において、宮下一郎氏は「守屋貞治千手観音像」を発表している。この論考執筆の前段として、駒ケ根市・宮田村の貞治仏の現地調査をする過程にて、2点の貞治仏類似の石仏に出合っている。駒ケ根郷土研究会歴史部開催による会合の折、宮下一郎氏が、貞治仏について言及。「最近貞治仏と思われる石仏が2体みつかった」 というもので、1点は、駒ケ根市中沢に所在する蔵澤寺本堂裏の庭園内にある「聖観音菩薩像」であり、もう1点は、上伊那郡宮田村田中にある「子安観音」であることを後日知った。その場は、検討を要する石仏であるとの認識であったが、数年後の現地見学にて、貞治の一番弟子の渋谷藤兵衛の彫造と確認されたのである。お顔の造形は貞治作によく似ているが、全体像からは別の作者と判断される。繊細で出来は良いが、どことなく重みがない像容なのだ。貞治仏はどしっとした重量感を持つ彫造なのである。「聖観音菩薩」は坐像で文政初年ごろの作と推定され、「子安観音像」も文政2年の作であり、ちょうどこのころ、甲斐の海岸寺で百躰観音造立に着手した時期に当たり、貞治に代わって弟子の藤兵衛が彫造したと思われる。なぜなら貞治作 似せて作っているからだ。貞治は、天保3年10月19日に68歳にて亡くなっている。天保3年以後に師匠の貞治に代わって彫造した石仏が、駒ケ根市東伊那善福寺参道と、飯島町本郷西岸寺の参道入口手前にある。この飯島町本郷の石仏は、一見して貞治作と見間違う「地蔵尊坐像」で、筆者が『伊那谷の石仏Ⅰ』にて貞治仏として紹介した「比丘尼千成供養塔と」である。当時は、貞治の新資料を発掘推進した時期でもあって、検討期間も持たず、即貞治作と勘違いをしてしまった石仏である。善福寺には貞治の石仏が4体あることで知られた寺である。参道入口に四角柱の石碑があって、正面に「清浄閣」、側面に「南無地蔵大菩薩」と陰刻している。「地」の文字が逆台形に刻まれた特徴ある字形で、諏訪温泉寺の願王和尚の文字と一目で分かる。これと同じ「地蔵尊」と陰刻した文字碑が、木曽郡上松町の玉林院の門前にもあり、貞治亡き後の天保年間に渋谷藤兵衛が彫造したことが推察される。なお、玉林院の門前には、「子安観音」と「馬頭観世音菩薩」があり、貞治作と見違うほどの彫技の優れた石仏があるが、3体いずれも石工藤兵衛と認定される。駒ケ根市東伊那善福寺の参道入口に立つ「清浄閣」文字碑も併せて渋谷藤兵衛作と私は認定したい。本来は貞治に彫造依頼したものであったが、貞治死亡のため弟子の藤兵衛が彫造したものであった。

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