
貞七*青面金剛
角型半肉彫・120/80・元文2 年
飯島町七久保新屋敷
名工伝 守屋貞治 守屋家石工三代百年の足跡*田中清文より
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(6)祖父「貞七」との関係を示す貞治の石仏 貞七彫造石仏の所在範囲
守屋貞治の石仏研究の中で、石仏菩薩細工記述の彫造数333体は、祖父貞七の生涯彫造数と同一と考えた私は、調査開始時より今日まで石仏探しを細々ではあるがずっと続けてきた。平成12年7月時点(『伊那谷の石工Ⅰ石匠守屋貞七』出版)で230体が確認されていたのであった。以後10年余りの間に、新資料10体が追加されたのである。それらは飯島町以南の広域より散見されている。中でも大鹿村西山公園の花見の際発見した、下青木薬師堂脇の石仏集合地にある「如意輪観音菩薩」と「梵字の文字碑」の2体は、貞七彫造を示す特徴がある石仏で、貞七がこの地まで足を運んだことを実証している。なお薬師堂は、秋葉山参拝の人々の旅の休憩場所となっていたことが推察される。石仏群の幾つかは、秋葉講関連の石仏が見られるのである。この石仏発見によって貞七の石仏彫造範囲の「東端」が決定づけられたのである。中川村および松川町上片桐近辺には、いまだ未調査地区があり、今後数十体の貞七作品が発見される可能性がある。なお、高森町吉田の光専寺墓地からも3体の貞七作品が見出されているため、高森町に注意の目を向けたいと考えている。以上の調査を基にし、西は中央アルプス山麓にて区切られ、北は伊那市の藤沢川を境界にして、東端は前述の秋葉街道沿い、南端は下伊那郡高森町をもって境とし、この内側領域が、守屋貞七の石仏造立の活動範囲と思われる。なおこの地域では、北から太田切川、中田切川、与田切川、片桐松川産出の良質な花崗岩が見られ、これらの石材により彫造されている。貞七は好んで乳白色の花崗岩を選定して石仏彫造に挑んでいるのである。『伊那路』の特集号のテーマは、当会で特に重要と考える後世に伝えたい「上伊那の自然・歴史・考古・民俗・地理・芸術・芸能・人物・古文書」です。

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