トップ > 特集号 > 守屋貞治特集 > ネット限定特集「高遠石工守屋家三代百年の足跡」 > 貞七・孫兵衛・貞治の石仏 > 貞七の石仏 > 地蔵菩薩 駒ヶ根市

貞七の石仏*地蔵菩薩 駒ヶ根市

貞七*地蔵菩薩
舟形光背半肉彫・寛保元年
駒ケ根市

名工伝 守屋貞治 守屋家石工三代百年の足跡*田中清文より
9

(2)細工帳と現地貞治仏の照合

 石仏菩薩細工帳の記録を概観してみると、336体のうち半数以上の190体が、甲斐海岸寺百体観音、諏訪温泉寺の西国巡礼観音の23体、高遠建福寺の西国三十三カ所観音、土岐市原村禅躰寺の西国三十三所観音で、禅躰寺の三十三観音は、貞治の初期の彫造である。天明4年に着手して天明5、6年ごろには完成したものであろう。修業期に当たる貞治が直接彫造依頼を受けたものではなく、祖父の貞七が何らかの伝により依頼されたものを、病弱を理由に孫の貞治が彫造したのであろう(このことは後に詳述する)。次に手掛けたのは、高遠町建福寺の三十三観音で、4カ所の西国三十三所観音のうち、一番出来が良く、石材も青石の硬質岩石より彫り出しているため、細工も丹念で秀作ぞろいである。次が海岸寺の百体観音彫造である。寺の裏山にある軟質石材より百体を彫り出している。渋谷藤兵衛ほか数人の石工が助手 として働いたといわれ、石材の軟質もあって文化13年〜文政7年の8年間で百体観音を完成させたとされる。最後の三十三所観音造立は、諏訪の温泉寺の彫造作品とされ、晩年の時期に当たり、貞治は眼病を患い、そのために10体少ない23体彫造と、細工帳に記載している。観音のお顔がどれも藤兵衛の特徴を示すものである。天保2年9月、高齢に差し掛かり眼病を患っていた貞治は、余命が少ないことを悟り、今までの石工仕事の成果と経過を記録にとどめることを思い立ち「石仏菩薩細工」を作成したのであろう。
 この温泉寺にて造立した西国三十三所観音彫造をきっかけに、余命を悟った貞治は、文政11年の勢州河崎(三重県伊勢市) 以降2度目の旅を実施している。温泉寺の願王和尚との約束を果たす旅であった。このときの石仏は、細工帳334体目の「延命地蔵大菩薩」(勢州山田河崎)であり、願主野村鶴子と陰刻の金剛証寺の地蔵様である。同じ野村氏発願の延命地蔵尊は行方知れずの石仏となっているが、細工帳では335体目に記載がある。 時に没年の天保3年春のことである。そして絶作となった上穂柏木小町谷治良兵衛の「聖観自在菩薩」 造立へと連なるのであった。温泉寺での三十三観音完成以後の3体は、存命中に完成造立しなければならない貞治の悲願であったと思われるのである。

 | 

←前ページへ戻る


トップへ戻る