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貞七の石仏*地蔵菩薩 駒ヶ根市

貞七*地蔵菩薩
舟形光背半肉彫・寛保元年
駒ケ根市

名工伝 守屋貞治 守屋家石工三代百年の足跡*田中清文より
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(2)細工帳と現地貞治仏の照合

 貞治の石仏菩薩細工を見て気づくのは、温泉寺願王和尚との巡歴の旅の中で彫造した地蔵尊の多さであろう。主に、臨済宗妙心寺派の寺院に造立されている石仏群であり、比較的大型の石仏彫造となっている。まずは遠方への苦労であろう。細工帳の記述から検証すると、願王和尚と共に旅に同行し、現地寺院にて石仏造立を果たしたのは50〜60カ所は下らぬであろう。また、願王の要望で単身で現地に出向いたこともあったであろうから、総数100体ぐらいは願王との関連の上に彫造・造立したことが推察される。ところで願王との縁ができたのはい つのことかと興味が湧く。推理を働かせると次の事象が気に掛かる。
 願王和尚は元は武州出身で、後に諏訪温泉寺の住職となったという。前項で土岐禅躰寺の三十三観音の彫造依頼のことに触れたが、この彫造依頼の主は「願王和尚」ではなかったかと考えるのである。禅躰寺は臨済宗妙心寺派の寺であること、禅躰寺近くの「正源寺」の延命地蔵尊造立(文政4年4月)に関わる事例があることなどが根拠である。祖父の貞七に代わって貞治が彫造したことが、願王和尚との縁ができた最初ではなかったか。したがって、貞治の石工歴の始めから願王が亡くなるまでの45年間が、苦しくも楽しい仏縁の旅であったと思う。

 ここまで貞治の細工帳を頼りに290体あまりの石仏を巡訪したが、旅の終わりに思うことがある。それは、伊勢河崎の重要性である。守屋家の文献に記述がある「先祖との縁ある場所」が河崎であり、石仏造立の最終地点が勢州河崎であったのも理由があってのことと思う。

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