トップ > 特集号 > 守屋貞治特集 > ネット限定特集「高遠石工守屋家三代百年の足跡」 > 貞七・孫兵衛・貞治の石仏 > 貞七の石仏 > 如意輪観音 駒ケ根市赤穂光前寺

貞七の石仏*如意輪観音 駒ケ根市赤穂光前寺

貞七*如意輪観音
舟形光背半肉彫・70
駒ケ根市赤穂 光前寺

名工伝 守屋貞治 守屋家石工三代百年の足跡*田中清文より
18

(4)貞治の石工歴3段階変遷

 貞治の石工歴研究で、特に注目したいのは、修業期と 研鑚期についてである。先学の研究では、石工の本場で あろう関西方面にて修業をしたとされていたものが、近 年の調査・研究によって、祖父貞七と父孫兵衛も石工で あったことなど考え合わせると、家族のうちの両者か、 またはそのうちの一人から、石工の手解きを受けたと考 えるのがごく自然だろう。私は、石工技術の初歩を学ん だのは、父の孫兵衛であったと思う。なぜならば祖父の 貞七は、年の半分も家に帰らないほど石工仕事に専念し ていたと考えるからだ。だが本当の意味での師匠は、祖 父の貞七であったと思う。直接石仏彫造上の教えを受け ていないにしても、修業期の後半から研鑚期にかけて、 伊南の各地に残る貞七作品を、自らの仕事の合間に見て 回って生かしているからだ。石仏作品の出来以上に、貞 七の彫造に掛ける意気込みを感じ取ったと思う。私は、 実地に伊南の地に残された両者の石仏を対比して、その ことがありありと見えてくるのであった。父の孫兵衛が亡くなる2年前ころより石工の初歩(基礎) を学び、貞 治の石仏第1作目の如意輪観音彫刻へと連なったと考え る。守屋家墓域に残るその石仏が、孫兵衛と貞治との関 係を物語っているのである。如意輪観音の目元表現が、 孫兵衛の特徴を示しているのだ。

 | 

←前ページへ戻る


トップへ戻る